ふっと感じる恐怖と闇
ある意味自称クリスチャン
自分では自分のことをクリスチャンだと思っているし、神様のことも信じている。 ...つもりである。
というのは、信仰熱心なクリスチャンを見ると、 自分はどこまで信じているのだろうか、と考えてしまうからだ。
皮肉に聞こえるかもしれないが、盲目的に信じられるというのは、 とても幸せなことなのかもしれない。
これは本心である。
一度失った信頼感は
いつからか、100%の信じる心はどこかへ行ってしまった。 そのうち、いつかは帰ってくるのかもしれないと思っているのだが。
じゃあ何%なのかといわれると難しい。 だがとにかく、絶対大丈夫だ、といわれても後ろ向きに倒れられないのと同じくらいの 信頼感ではある。
一度失った信頼は帰ってくることが多い。 一度失った信頼感は...まだこれからに期待しよう。
「もしも」の世界
これがリアルであるとはつゆほどにも信じたくない。 だがもしも。 もしも神様がいないのだとしたら。
これまでの自分の信頼がすべて空気をつかむようなものだとしたら。 それはふとした瞬間に感じてしまう。
それはまるで、人生のダークサイドである。
誰しもマスター・ヨーダになることができるのと同時に、 アナキン・スカイウォーカーになる危険性だってあるのだ。
それでも
では信じるのをやめようとは決してならない。 見えなくても、聞こえなくても、感じなくても、答えがなくても、 反応がなくても、何も祈りが聞かれなくても、
自分は信じるのをやめることはないだろう。 死ぬ寸前まで、いや、死んだ後だって、
自分はイエス・キリストを信じるものとして生き続けるだろう。
お前はうそつきだ、それは信仰じゃない、 といわれる時があったとしたって。
一度失った信頼感がどうなるのかは知らないが、 一度得た信仰というのは決してなくなることはない。